オイシックス・ラ・大地の「挑戦」を深ぼる

学ぶ勇気を捨ててはいけない。執行役員・奥谷孝司さんが考える人生100年時代のキャリアの築き方。

学ぶ勇気を捨ててはいけない。執行役員・奥谷孝司さんが考える人生100年時代のキャリアの築き方。

『人生100年時代』が訪れようとしています。60代で定年を迎える時代は終わりを告げ、70代・80代になっても働き続けることが可能な時代。私たちの意識も大きくシフトチェンジしていく必要がありそうです。

定年をゴールにしないキャリアプランニング。生涯学び続けるための学習方法。長寿化を見越した健康な体づくり。人とのつながりなどを重視した生き方へのシフトなど、さまざまな変化が想起させられます。

この人生100年時代において、「40代で守りに入るのではなく、より一層の攻めが必要だ」と心に誓い、4年前にオイシックス・ラ・大地(当時オイシックス)に加わった方がいます。現在47歳、オイシックス・ラ・大地の執行役員の奥谷孝司さんです。

2015年にオイシックスに入社するまで、世界的に有名な『無印良品』を展開する良品計画で18年間キャリアを築いてきた奥谷さん。店舗勤務やドイツの取引先商社への出向後、「World MUJI」シリーズの立ち上げ、企画デザイン室などを経て、衣料雑貨のカテゴリーマネージャーとして定番ヒット商品となる「足なり直角靴下」を開発。2010年には、WEB事業部長に就き「MUJI passport」をプロデュース。

オムニチャネルやビッグデータという言葉が注目を浴びるなか、「MUJI passport」を軸に、いち早くそれらを実現した功績から、2014年の日本アドバタイザーズ協会 Web 広告研究会が選ぶ「Web 人大賞」にも選ばれました。

今でも無印良品は大好きなブランドだと言う奥谷さん。44歳の時に、愛着を持って長年勤めてきた会社から新天地へ移る決断をします。その背景には、自分の50歳以降のキャリアを見据えた想いがあったそうです。奥谷さんが自分を磨く場所としてオイシックス・ラ・大地を選んだ理由とは。奥谷さんに話を聞いてみました。

道を極めるために、最も扱いが難しいものに挑戦。

──  今日は奥谷さんのキャリアについての考え方を伺えればと思っています。2015年に、奥谷さんが良品計画からオイシックスに移られたことはデジタルマーケティング界隈で大きなニュースになりましたが、改めて転職の理由をお聞きしてもよいですか?

奥谷さん
転職の理由は幾つかあるんですよね。ひとつは、小売のプロとして純粋に腕を磨きたいということ。

これから、Amazonのようなネットで成長してきた企業がお客さんとの繋がりを活用して、Amazon Go、Amazon Booksのようにリアルの場にも進出してくることは明らかです。そういう時代に小売のプロを目指すなら、ネットでモノを売ることをもっと学ばないといけないと感じました。

無印ではブランドと実店舗の力が圧倒的に強くて、どちらかというとネットは補完的な役割として機能しています。なので、これから伸びるブランドで、ネットとリアルの融合に挑戦ができ、お客様に素晴らしい体験を提供できる可能性がある企業で、自分の力を試してみたいと思ったんですよ。

──  なるほど。

奥谷さん
オイシックスは毎年数億円単位で利益を出していました。現在多くのスーパーが苦境に陥っているのを見てもわかるように、生鮮食品で利益を出すのって本当に難しいんですよ。衣類や日用品と違って在庫を抱えられないし。僕も無印時代に衣生食を扱っていたので、よくわかります。

だから、オイシックスがネットで生鮮食品を売ることに成功している理由を知りたいという気持ちがありました。そして、取り扱いの難しい生鮮食品で知見を高めれば、どんなモノ売りにも対応できるようになるだろうと思ったんですよね。

──  まずは、オイシックスの事業領域に惹かれたということですね。

奥谷さん
あとは、オイシックスが複業・兼業が許される環境であることにも惹かれました。40代になって、残りの人生を考えた時に、事業会社の人間としても働きたいけど、個人としても活躍したいという気持ちがありました。それは個人で会社の代表を務めることだったり、学術の世界で学ぶことです。

そうすることで、自分にもメリットがあるけど、所属している企業にも還元できる何かがある。外で学んだことを内で活かして、内で学んだことを外で活かす。オイシックスはそういう働き方がやりやすい会社なんですよね。

──  昨年、奥谷さんが共著で書かれた『世界最先端のマーケティング 顧客とつながる企業のチャネルシフト戦略』は、日本マーケティング学会員が選ぶ「日本マーケティング本 大賞2018」の準大賞に選ばれましたよね。こういう活躍も、兼業だから実施できた部分が大きいでしょうか?

奥谷さん
間違いなくそうですね。現在、僕はエンゲージメントコマースラボという会社の代表をやったり、顧客時間という会社を立ち上げたり、一橋大学大学院で学ばせてもらってますが、こういう活動を応援してくれるところはオイシックス・ラ・大地の魅力のひとつです。

学ぶ勇気を持ち、あえて居心地の良い場所を離れる。

──  ただ、18年間も愛着を持って働き続けた会社を、44歳というタイミングで離れるのは、すごく勇気の要る決断だったと思いますが、その辺りはいかがですか? 奥谷さんの無印への愛も相当なものだったと思いますが。

奥谷さん
そうですね、僕も悩みました。ただ、40代って微妙な時期なんですよ。40代って、特定の専門領域においては社長を凌駕するくらいの力を持っていると思うんですね。例えば、僕の場合であればデジタルマーケティングだとか。同時に、40代は役員や次のステージの椅子が見えてくる時期でもあります。

奥谷さん
その会社でのポジションを上げるために、ジェネラリストとしての経験を積んで次のポジションを伺うのか。それとも、現場に立ち続けて、自分の強みにより磨きをかける期間として過ごすか。こういう選択に迫られる年代だと思うんです。

僕は、40代はまだ現場というピッチの中で戦うべきだと判断しました。40代はまだ失敗してもやり直せる世代。まだまだ学びながらインプットを増やし、アウトプットもできる。人生100年だと言われているのだとすると、50歳までは学ぶ勇気を持ちたい。そこで、あえて居心地の良い環境から離れ、自分を磨いてみたいと思ったんです。

──  なるほど。あえて離れるという選択肢なんですね。

奥谷さん
やっぱり人間って、負荷をかけないと育たない生き物だと思います。無印の松井元会長も「人間育成をするために必要なのは修羅場体験」と言ってますが、常に戦地に身を置くことで人は成長します。

無印には強いブランド力があるし、ありがたいことに環境も整備されているので、残業とかほぼないわけです。もちろん、無印で厳しいチャレンジを迎えることも沢山あると思いますが、もっと荒れた環境に身を置きたいと思ったんですよね。

──  実際に、オイシックスに入社してみて、荒れたピッチという感じでしたか?

奥谷さん
それはもう大変でした。最初の一年間くらいは、無印とやり方もスピードも全然違うから、正直辛かった(笑)。

でも、慣れてくると学ぶことが多いし、何と言ってもオイシックスは圧倒的に試合数は多い。

ネットで生鮮食品を売るということ自体が、まだまだ完備されたものではないから、チャレンジしないといけないことばかりなんです。しかも、社長の宏平さん(高島宏平さん)を筆頭に攻めの意識が強い役員が多いから、いろんな無理難題が降ってくる(笑)。

《▲オイシックス・ラ・大地の役員たちと奥谷さん》

奥谷さん
僕が入ってからの数年間だけでも、「大地を守る会」と「らでぃっしゅぼーや」との経営統合だったり、海外事業の本格化、三越伊勢丹さんとの提携など、本当に難しい挑戦を幾つもやっている。わずか3年でこのスピード感。大企業ではないですよ。

試合を求めてここに来ましたが、何度ギブアップしようと思ったかわかりません(笑)。

与えられたバッジではなく、自分のバッジを掲げたい。

──  最後に、奥谷さんのこれからを聞かせてもらいたいのですが、50歳以降のビジョンは既に決まっていたりするんですか?

奥谷さん
まだ漠然とした状態ではありますが、何か自分でことを起こしてみたいと思うようになってきました。

どういう形で取り組むのかは、まだわかりません。オイシックス・ラ・大地で働きながらという可能性もあります。兼業しながらチャレンジすることで、オイシックス・ラ・大地に戻せるものも沢山あると思いますし。もちろん、この会社で新しいことを起こしたいとも考えてます。

──  なぜ自分でことを起こしてみたいと思われたんですか?

奥谷さん
色々ありますが、一番は社長の宏平さんの姿を近い距離で見ている影響が大きいです。「人を巻き込んで大きなコトを成していくって、こういうことなんだ」と。常に現状に満足せず、非連続の挑戦をやめない。今でも十分すごい人なのに。その背中を見ていると、純粋に勉強になるし、刺激をもらえるし、自分も社会や会社にもっと貢献していきたいと思えます。

こう見えても、僕は今まで本気で人を巻き込む勇気というのはなかったと思うんですね。サラリーマンとして、会社の看板のもとで人を巻き込むというはやってきましたが。

でも、宏平さんを見ていて、人に与えられたバッジではなく、たとえショボくても自分で作った缶バッジを掲げて生きることに挑戦したいと思うようになりました。そのバッジを磨いて、素敵なものにしていきたいですね。

──  オイシックス・ラ・大地に入ってからの数年間で、そういう想いが湧いてきたんですね。

奥谷さん
そうですね。自分自身で世の中に問いを投げていくということがすごく大事だと気づかされましたね。そういう意味では、40代のうちに自分の考えを本にまとめて、世に送り出すことができたというのは、すごくありがたいことでした。

もちろん、本を一冊書くだけでは世の中は変わらないし、宏平さんがやっていることに比べると、まだまだ小さなことです。でも、今からでも、ことを起こす人間になっていきたいと思ってます。

──  そのためにも、今は様々なフィールドでプレーして、学びを貯める期間なんですね。

奥谷さん
そうですね。40代で守りに入るのではなく、学ぶ勇気を持って攻めてみる。きっとその先に、真の事業家や経営者への道があるのではないかと考えています。

執筆:井手桂司 編集:ORDig編集部

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